法務省ウェブサイト内~時々小論~にて掲載していただきましたものを、このたび15回の連載として、一部加筆修正してお届け致します。ミーナ柴原自身の翻訳の原点についても言及しております。当社の翻訳作業方法のヒントにもしていただけると思います。ぜひお読みください。

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国際人って何?

「国際的」や「国際化」という言葉を最近メディアでよく耳にします。しかし,「国際的」
とはいったいどういう意味なのでしょうか。また,どのような人間が「国際人」なのでし
ょうか。「国際人」とは二つ以上の言語を話せる人のことをいうのでしょうか?もしそうで
あるならば,「国際人」と「バイリンガル」とはどの様に区別すればよいのでしょう。
自国から出たことのない人でもバイリンガルはいます。たとえば,マレーシアに住むマ
レーシア人の中には英語もマレーシア語も両方話せる人が大勢います。この様な人達は自
動的に「国際人」といえるのでしょうか?そうであるならば,二つの国に暮らし,二つの
言語を話せるようになった人と彼らはどの様に違うのでしょう?みなさんはどう思われますか?



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第2回「バイカルチュアルであることとは!?」

 第1回目は、バイリンガルは国際人なのか?に始まり、国内にてバイリンガルであるのと、2国間生活においてバイリンガルになったのとの違いは何か?というお話しでした。みなさんはどうお考えになりましたか?
おそらく大きな違いは,海外生活によって言語が身についた人はその国の文化的な部分
も同時に身につけた可能性が高く,一つの国にいながら二つの言語を操る人よりも「バイ
カルチュアル(Bi-cultural)」になるという点でしょう。では「バイカルチュアル」である
ことの強味はなんでしょうか?私は,一つの問題をより色々な角度から見ることが出来る
ことや,異なる意見に対してより敏感になることであると思います。例えば,日本を離れ
てみないと日本という国を外から捉えることは出来ません。物事を内側から見る時と外側
から見る時では違って見えるものです。英語の表現ではしばしば「一つの問題については
必ず二つの見方がある」 と言われます。つまり一つだけの正しい見方というものはない,
ということです。ある状況を正確に判断する為には,先ずはじめに全ての側面からその問
題を捉えてみる必要があることは多くの方に同意して頂けるのではないでしょうか。そし
て,全ての側面から問題を捉えるためには,なによりも先ず第一に,「問題を考える視点は
複数あるのだ」ということをしっかり認識していることが大事なのではないかと思います。
私は,「インターナショナルであること」すなわち国際的であること。とはこの様に複眼的な見方,物事の捉え方が出来ることではないかと考えています。これはすなわち自身の考え方が唯一絶対なものではないと考え,その良い面と悪い面を見極めることが出来ることを意味します。


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第3回「結婚相手はジョーンズ?スミス?」

 国際的であることとは、複眼的な見方。物事の捉え方ができることだと前回、お伝えしました。今日はそれらにまつわる私の英国時代のエピソードをお話します。
私が英国に住んでいた頃は,英国という国が外からどの様に見えるのか分からず,そし
てまた日本人であることがどういうことなのか認識していませんでした。最初は私と英国
人の友人との違いがあるということすら意識していませんでした。通う学校も同じ,食べ
るものも同じ,着る服も同じでしたから。私は自然に将来は英国人らしい名前のジョーン
ズとかスミスと名乗る人と結婚すると想像していたのです。子供は大人よりもオープンなのでクラスメートから差別にあうことはありませんでした。日本人に対してより警戒心を
持って接していたのは大人の方でした。大人は時にはあからさまな差別意識を口にしまし
たし,またある時は単にそういった行為に対して非常に鈍感でした。例えばこういう出来
事がありました。私が10歳の時に英語(国語)の授業で学年トップになりました。一学年
で4クラスあり,一クラスに30人の生徒がいました。先生は私が作文と読解で一番だった
と発表し,クラスに向かって「イギリス人じゃない人が一番になったのを恥に思いなさい」
と言いました。この教師は褒めるつもりで言っていたと分かっていましたが,その言葉は
日本人である私にとっては鈍感なものであり,差別的なものでした。その言葉によって私
の喜びと一番になったという誇らしい気持ちは吹き飛んでしまいました。